校長ブログ

2026年01月7日

2025年度 三学期始業式あいさつ

 生徒のみなさん、新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。お正月は、家族や友だちと充実した時間を過ごせましたか。

 冬休みに、歴史学者の磯田道史さんの本を読んで興味深かったので、みなさんにお話したいと思います。題材は、今年の大河ドラマにもなっている「豊臣兄弟」です。ご存じのように、バックグラウンドが何もない状態から天下人となった豊臣秀吉ですが、秀吉には三歳下の弟がいました。のちの豊臣秀長です。秀長は、持ち前の知恵と調整力で、生涯に渡って兄を支え続け、秀吉の分身として“天下一の補佐役”となりました。

 いくつかエピソードを紹介します。「本能寺の変」の5年ほど前、織田信長の周囲は、決裂した足利将軍、石山本願寺、西国の毛利というように敵だらけでした。秀吉は、毛利に対抗するために中国地方攻めを信長に命ぜられますが、今の兵庫県、播磨と但馬の平定に3年以上掛かります。生野銀山の財源を確保しながら、この期間に豊臣兄弟は着実に進化していきます。例えば、この兄弟がどうやって自分たちのために働いてくれる人を集めたか、ということです。彼らには当然もともとの家臣はいません。何かをしてもらったら、それに対して、相手が満足するような、もらったものに見合う、あるいはそれ以上の報酬やサービスを与える。またはお得なアイデアや知恵を与える。それによって人心をつかみ、自分たちへの忠誠心を高めていったということです。

 弟の秀長は、戦において、しっかり守り抜き敵の消耗で勝つ、という陣地防御戦に優れていました。これは秀吉軍の勝ちパターンになっていきます。兵糧ルートを封鎖するために、わずか2週間で数キロの堤防を築き、水攻めで備中高松城を落城させたのは、その最たる例です。

 もう一つの豊臣兄弟の進化は、近畿から中国地方を結ぶインフラ整備と情報システムの確立です。「本能寺の変」のとき、秀吉がこの知らせをいち早くキャッチし、光秀を討つために、青凌のすぐ近くの山崎まで、九日で二万余りの兵を率いて230キロを駆け抜けました。いわゆる「中国大返し」です。また、秀吉は「信長はまだ生きている」というフェイクニュースを流します。こういった情報網は明智光秀との決定的な違いとなり、光秀に味方する者はほぼいませんでした。

 2年後の小牧長久手の戦いに勝利し、秀吉が実権を握った後、秀長は、徳川や毛利など有力大名へのおもてなし外交で活躍し、近畿内の要の地である、大和と紀伊の統治も担当しました。しかし、秀吉の天下統一の翌年、1591年に秀長は病で亡くなります。ここから豊臣家は転げ落ちるように滅亡への一途をたどっていきます。もう少し秀長が長生きして、現場監督として豊臣家を支えていれば、歴史は変わっていたかもしれません。

 

 さて、三学期は、中学1年生から高校2年生の生徒のみなさんにとっては、1年間の学習の総仕上げの時期であり、また次の学年への準備期間となります。日数的には少ないですが、そのことを念頭に置いて日々過ごしてください

 中学3年生のみなさんは、高校のコースが最終的に決定する試験を2月に控えています。この1ヶ月、悔いを残さないように取り組んでください。

 高校3年生のみなさん、これから大学入学共通テスト、私立大学入試、国公立大学の二次入試があります。みなさんの周りには一緒に受験をする仲間がいます。サポートをしてくれるご家族・学校の先生がついています。ぜひ平常心で、いつものルーティーンを崩さず入試を迎えてください。

三学期始業式にあたり、私の話は以上です。ありがとうございました。